「第1回 尼崎市小児在宅・移行期医療研修会のご報告」(第648号令和5年12月1日)

「第1回 尼崎市小児在宅・移行期医療研修会のご報告」11・25

地域包括ケア・勤務医委員会 土屋 浩史

 
令和5年11月25日(土)に、ライクスホールにて開催されましたので報告いたします。現地参加だけであったにもかかわらず、医師、看護師、行政関係、保育教育関係、相談員、薬剤師など多方面から153人にご参加いただき、関心の高さがうかがわれました。
会は夏秋理事の司会にて進行し、1.行政から、2.基幹病院小児科から、3.移行期医療を担う内科から、4.患者さん当事者から、それぞれご講演をいただき、その後にシンポジウムを行いました。
はじめに、杉原会長と兵庫県立尼崎総合医療センター(以下AGMC)平家院長からご挨拶を頂きました。その中で杉原会長から、開催に至った経緯のご説明を頂きました。
講演内容の要約を以下に記載します。

1.尼崎市の医療的ケア児の現状について 尼崎市北部保健福祉センター 松原未佳氏(相談支援専門員・医療的ケア児等コーディネーター)
全国の医療的ケア児は約2万人、10年間で2倍に増えている。尼崎市では18歳以下の医療的ケア児は110人、そのうち人工呼吸管理を使用しているのは29人である。そのうち約8割が障害児通所支援など何らかのサービスを利用している。
尼崎市では平成30年から医療的ケア児の支援体制を強化する取り組みを始めており、実態把握、研修、受け入れ体制の確立、事業所・教育との連携を行っている。
平成30年に南北保健福祉センターができ、ワンフロアで医療的ケア児にかかわる相談・支援が可能になった。相談支援専門員(事業所や保健福祉センターに所属)が障害福祉サービスなどの利用計画の作成や相談支援を行い、その働きはケアマネージャーに似ている。
児童発達支援、放課後デイサービス、短期入所などのサービスの利用には障害者手帳や医師の要否意見書が必要であり、自宅訪問・聞き取り調査を行った上での認定となるが、約2か月の期間を要する。
医療的ケア児等コーディネーターが尼崎市には4人在籍しており、相談支援、実態把握、関係機関との協議、行政、事業所や医療機関との連携など、業務は多岐にわたる。
出生時等に医療的ケアが必要となったケースは入院中から支援を開始し、平成30年から5年半で25人になる。
最後に、ご家族の思いを紹介する。「相談支援専門員が増えてほしい、利用できるサービス事業所が増えてほしい、タクシーチケットを増やしてほしい。レスパイト入院できる病院が増えてほしい、自宅でリハビリしたい、軽い体調不良やワクチン対応をしてくれる往診医が欲しい。働きたい。お友達や先生と遊ばせたい。地域の学校で学びたい。」

2.小児在宅医療について AGMC小児科 西田吉伸先生(新生児科)
在宅で医療的ケアが必要な児は増加傾向にあり、早産児・極低出生体重児、重症仮死、染色体異常、先天性心疾患などが原因となる。また、脳性麻痺の児の成長に伴い、医療的ケアが導入されることもある。
新生児集中治療室(NICU)から在宅移行したケースは2016〜2023年で78例、そのうち人工呼吸器導入されているのは32例である。32例の内訳で最も多いのは18トリソミーが18例である。人工呼吸管理32例と気管切開のみの2例のうち、退院後もケアが継続しているのは18例、死亡は10例である。死亡例の大半は18トリソミーである。在宅酸素または経管栄養のみの44例のうち、29例は退院後に医療的ケアは終了している。在宅医療が必要なケースでは、在宅支援パスを利用している。家族へ指導は、通常の育児ケアに加えて医療的ケアの指導が必要となるが、その時期は家族や症例によって考えながら行っている。
AGMC小児科外来でフォローしている医療的ケア児は108人、16歳以下が大半だが、17〜30歳も9人いる。基礎疾患の内訳は、周産期異常、染色体異常、先天性疾患が各々1/4を占め、その他では神経筋疾患、感染症、蘇生後脳症、悪性腫瘍がある。医療的ケアの内容としては90人が在宅酸素で最も多く、気管切開、人工呼吸器、胃ろう、経管栄養が主である。AGMC外来ではカニューレなどデバイス交換、感染症や急変時の対応、合併症の評価、関係各所との連携・書類作成を行っている。
関係各所への早めの情報提供と、発達・発育に合わせたプラン変更、成人期への移行が今後の課題である。

3.移行期医療について 尼崎市医師会副会長 原秀憲先生
移行期医療に関して障がい児者とその家族が感じている課題について、西宮市肢体不自由児者父母の会の有志から成る「医療的ケア応援団(代表黒田眞規子氏)」が取りまとめた「小児科から成人医療への移行に関する重症心身障害児者の家族の思いとお願い」と題するレポートに基づいて報告した。
このレポートには、成人診療科に移行した後の急変時の入院先の確保に関する不安、そして、日々を生き抜くだけで精一杯の障がい児者とその家族にとって地域のかかりつけ医を探す余裕など無く、病院にも地域の医療資源に関する情報が乏しいこと、さらに、成人診療科に移行する必要性が当事者とその家族に伝わっていないことなどについて具体的かつ切実な声が寄せられている。
医療的ケア児も成人になれば生活習慣病や悪性腫瘍に罹患する恐れがあり、できる限り成人診療科への移行を進めたいところだが、診療側にも課題がある。その課題とは、小児科は患児だけでなくその養育者との関係性も含めて診察するのに対し、成人診療科は患者本人が主体として診察するという、いわば診療にかかる文化の違いである。診療を引き継ぐ成人診療科の医師はこの文化の違いに留意すべきであるが、一方、在宅医は患者とその介護者との関係性も含めて診療することを日常的に心がけており、移行期医療に取り組みやすい素地を持っていると考えられる。
障がいや慢性疾患を持ちながらも何らかの支援を受けて、社会で活き活きと生活できることが「健康」である。その観点から障がい児者が一人の成人として暮らせる社会を築いていかなければならない。そのような社会を実現するために移行期医療においてなすべきことは、病診連携ならびに診療科間連携の充実、地域の医療資源にかかる情報提供、急変時の入院先の確保を図ることである。当事者とその家族の声に寄り添い、私達医療者がそれぞれの立場でリーダーシップを発揮して移行期医療を実現したい。

4.当事者の立場から 宮元莞爾氏(進行性筋ジストロフィー・デュシェンヌ型患者)
母より今までの経過(要約)
乳児期の血液検査で偶然肝機能異常が見つかり、精査の結果進行性筋ジストロフィーと診断された。年長までは走ることができたが、徐々に転倒が増え歩行速度がゆっくりとなり、中学1年で大腿骨骨折を契機に車いすを利用するようになった。高校は普通校に進学、卒業後は大阪市内の障がい者就職支援学校にバス・電車で通学し、19歳からは尼崎市で一人暮らしをして事業所に就職した。2022年8月にCOVID-19に罹患し入院し、退院後から母と同居している。
本人からのお話
小学校は尼崎市で、クラスは支援級であった。中学で豊中市に転居し、支援級ではなく普通級で学んだが、他の生徒と同じクラスであることに驚いた。その影響で普通校の高校に通いたいと思った。高校はバス通学だったが、事前に登下校で利用するバスを伝えているにも関わらず、目の前でドアが閉まり乗れないことが何度もあった。最初は怒りを感じたが、そのうち慣れてしまった。遠足で電車に乗るときも、電鉄会社での連絡不備のため降りる駅で降ろしてもらえなかった。ようやく降りるときには、ほかの乗客から文句を言われた。今でも、車いすで車から降りるときに邪魔だと言われることがある。お盆や年末年始は事業所が休みなので自宅で過ごせなくなり、仕方なくショートステイを利用した。スタッフが介助に慣れていないため気を遣うことが多く、ショートステイは疲れる。去年コロナに感染した時、はじめて死ぬってこんな感じなんだと実感した。退院した後から往診が来るようになった。25年間で初めての経験だ。病院に行かなくていいのはとても楽である。成人になって、みてもらえる施設が減った。病院でもデイサービスでも、結局自分で探さないといけない。

シンポジウムは杉原会長と土屋を座長として進行しました。今求められる体制についての議論では、松原氏からは、まずは「知ってもらう」ことが必要であるとの発言がありました。小児在宅・移行期医療に関心を持ってもらうこと、どこに何があるか知ってもらうこと、仲間を増やすことがこれからの課題であると考えておられました。原先生からは、子どもを施設に預けたくないという心情を理解する必要があること、急変時の対応、受け入れ策が重要であるとの発言がありました。杉原会長からは、尼崎市の小児在宅医療では、行政、訪問看護、相談員は連携ができていても、地域の医療が入っていないのが現状であると指摘がありました。
フロアから、往診を希望しても情報がないのでリスト化してほしいとの意見がありました。また、尼崎中央病院の吉田先生から、障がい児者には制度上介護保険との違いがあり、ケアマネージャーがいない。それに相当する相談支援専門員がいるが、ついていない障がい児者もいて、医療との連携が十分でないケースがあるとのご発言をいただきました。
以上のような議論を受けて、小児在宅・移行期医療を地域で支えるための体制づくりが求められており、今後医療と福祉の連携を深め、どこにどんな資源があるのか一元管理し、連携のハブとしてあまつなぎが機能できるのではないかとの提言がありました。

最後に小児科医会の山本会長から閉会のあいさつを頂き、盛況のうちに会は終了しました。終了後も関係者間の情報交換が盛んに行われ、関心の高さと今後の発展を予感させるものでした。懇親会には事業所や行政関係者にもご参加いただき、各現場の熱い思いを伺うことができました。この熱量を下げることの無いよう、今後も継続的に取り組んでいきたい思います。