「めんどくさい歴史のお話」(第657号令和6年9月1日)

めんどくさい歴史のお話  第130回
塚口地区 横田  光
ワキ 内藤 武夫
ツレ 児玉  岳

 
歴史のお話スピンオフ?
大河ドラマにでてきた雉肉の話
塚口地区の横田(光)です。歴史好き、というより大河ドラマ好きです。
今年の大河ドラマは久々の平安時代もの「光る君へ」、見どころが多く画面は美しく、毎週楽しいです。いちど平安貴族のBBQ(焼いた串肉などを使用人に庭に運ばせて宴会)シーンがありましたが(8月4日放送回)、児玉先生とフェイスブックでやりとりする中で、それが雉肉だと知りました。雉?桃太郎の家来の雉?ていうか貴族の肉食はOKだった?いろいろ気になって検索していたら「雉の記事」を書くことになりました。
雉はキジ目キジ科キジ属の鳥類で、非公式ながら日本の国鳥です。古いほうの諭吉の一万円札の裏面に印刷されていました。鶴でも朱鷺でもなく雉が国鳥なのは、国内で1年中見られる日本固有種であること、雄は羽色が美しく性質が勇敢で雌は母性愛が強い、日本の文学や芸術でも古くから親しまれている(「桃太郎」「古事記」「万葉集」ほか)、などの理由だそうです(個人的にはジェンダー感覚の話に行きたいところですが、脱線しすぎるのと1947年の会議のことだそうで割愛します)。
仏教が伝来して政策となる奈良時代以降に肉食禁止令などもありながら許されてきたのが雉肉で、徒然草 第118段にも鯉とならんで帝に調理してもさしつかえない食材と紹介されています。禁止令を出さないといけない程度に古代でも肉類を食することが普及していたということでもあり、庶民にはそこまで禁止も行き渡ってはいなかったようです。
ところで同じ鳥でも鶏はどうかというと、古代では飼われていても用途は主に時告げや鑑賞、闘鶏だったようで、卵や肉を食べることを目的に飼われるようになったのが江戸時代からぼちぼち、本格的には明治以降となります。
徳川慶喜が豚肉好きで、琉球文化の影響を受けて豚肉食があった薩摩からよく献上させていた話はドラマ等で紹介されて有名(徳川家茂が脚気心で亡くなっているらしいことと対照的)ですが、牛・豚肉等についても鶏同様に明治政府が西洋文化の導入と廃仏毀釈のために肉食を奨励し、保存と調理の方法が進むとともに広まったと考えられます。
あとやはり対外的な戦争が多くなってきたことも重要で、兵站の一部として食肉がどう扱われたかなども興味深いですが、また雉からそれてきたので切り上げて、児玉先生、内藤先生にいろいろツッコミ、補足をいただきたいと思います。
それでも日本で食用の肉の消費が魚を上回ったのは1970〜80年代らしく、今日は肉か魚か、何の肉をどんな調理で、など肉類を食べないことを含めて選べるようになったのはこの数十年でしかないということのようです。どの時代にしても、都の支配階級と地方の山村の庶民では食料事情が違い、肉食が全くなくなることはなかったでしょうが、食中毒を起こさないような処理は魚に比べて難しかったかと想像します。いまは処理済の安全な雉肉もネットで買えます。いい時代に生まれました。

児玉です。
先ほども出てきましたが、桃太郎のお供は、助さん格さん…ではなく犬・猿・雉ですね。なぜこの3種なのかとは、古くから色々言われています。丑寅の鬼門の反対側、いわゆる裏鬼門が戌申酉にあたるから、とか、桃太郎のモデルである吉備津彦命の家来「犬飼部」・「猿飼部」・「鳥飼部」にちなむとか、儒教の「知」・「仁」・「勇」にちなむとか。
しかし、「鳥」の代表がなぜ雉なのでしょう?鬼ヶ島に連れて行くなら鷹や鷲の方が強いではありませんか。ただ『古事記』などにも雉はカラスや白鳥と並んで神々の使いであると記載されています。格の高い鳥だったのです。そのあたりでしょうかね。

内藤です。
雉は美味しく戦後すぐは大変なご馳走だったと父はよく言っています。締めた雉を自宅で羽をむしってつくねにして鍋にしてよく食べたと。私も20年ほど前、丹波で捕った羽をむしってある丸どりの雉を近隣のイタリア料理屋さんで調理してもらって食べたり、愛媛の鈍川温泉で雉鍋を10年ほど前たらふく食べた思い出があります。今でも鈍川温泉をネットで検索すると雉鍋が出てきますので食べることができます。
味は、当初、鴨や鳩のような濃い味かと思っていましたが比較的淡白な味わいでそれはそれで美味しかったように覚えています。
我々が現在食べ物屋で食べる鳥といえば、鶏、鴨、鳩、鶉、山鴫、雀、雷鳥が頭に浮かびます。日本で現在狩猟できる鳥類は26種です。上記の中の鶉や雷鳥は含まれてませんのでこれらは輸入品ということになります。
鳥は人間も肉食動物ですから縄文時代に多数食べられており弥生時代に減っていると指摘されています。推測するに稲作時の害虫駆除に鳥類は必須ですので宗教の問題もありますがこのような事態となったのかもしれません。
横田先生が言われるように奈良時代に仏教の影響で殺生が忌諱されますが、鳥のような小動物は穢れが少ないと考えられ、比較的食べられており、鎌倉時代には鳥を扱う職種、そして市場の出現等が見られるようになります。
当時の料理人は貴族に属し、13世紀に書かれた、最も古いと言われる料理書にも調理法が、その後、四条流なる流派の料理書にも鳥の調理の仕方が掲載されています。雉にも多様な食べ方があったようです。
今回調べていて初めて知ったことに、今でも東南アジアで魚を使ったナンプラーという醤油がありますが、醤油のない時代、鶏肉を発酵させて醤油がわりとした魚醤ならぬ鳥醤なるものが使われていたことを知りました。いつの時代も美味しいものを食べようと皆、色々と考えるものです。
横田先生。食べることは大好きなのでこのような話大歓迎です。又よろしくお願いします。